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​LINER NOTES

​荒野政寿さん(CROSSBEAT)

 「満を持しての」と言いたい、ゆうらん船にとって初めてのフル・アルバムは、自分が勝手に予想していたものと随分違う形で姿をあらわした。程度の差こそあれ、ここまで彼らの作品を聴いてきた人たちを驚かせる、大胆なアルバムであることは確かだろう。2枚のEPにタイトルらしいタイトルをつけなかった彼らが、最初のアルバムに『MY GENERATION』という明確過ぎる題名を与えたことにも、意識の変化を感じずにいられない。

 このアルバムを初めて聴いたのはコロナ禍が騒がれ始めた4月中旬だったので、当然それより前にミックスを終えて完成していたはず。しかし息苦しい「自粛期間」の中で部屋にこもって本作を聴くうちに、そうした日々と本作の世界が、脳内で不思議なほどピッタリとはまっていった。本作を「2020年の気分を予見した作品」と大袈裟に形容したら、信じ込む人もいるのではないか。

 途轍もないスケールのアルバムに触れているという実感はあるのだが、ここに詰まった音と言葉が理性より先に感情へ直に響いてきて、作品としての特徴を冷静に言語化できず、すっかり失語症のような状態に陥ってしまった。彼らの作品からそういう種類の「強さ」を感じたのは初めてだ。鮮やかに予想を裏切られたという驚きもセットになって、「Chicago, IL」の〈僕はちょっと黙り込んでしまった〉そのものな心境で、『MY GENERATION』を黙々と聴き続けた。何度も何度も繰り返し。

 ここでサウンドの変化をちまちま解説しても、『MY GENERATION』の表層のみしか伝えられない気がする。果たして、ゆうらん船はどのように「変わった」のか? 変化の過程を、このバンドと出会った頃に遡って、改めて考えてみたい。

 

* * *

 

 そもそも自分は2012年にコンテスト「閃光ライオット」で注目された天才高校生=内村イタルのことも、内村イタル & musasavibandについても、何ひとつ知らなかった。

 2017年の初夏、たまたま聞いていた深夜のラジオ番組で、ゆうらん船という耳馴れないバンドの「夢見てる」を耳にして、全身が痺れるようなショックを受けた。60年代末から連綿と続く「日本語のロック」の系譜を踏まえながら、そこからはみ出す言語感覚の鋭さと、いつの時代のレコードなのか即座に判別できないタイムレスな楽曲のみずみずしさに、一瞬で虜になってしまったのだ。

 しかしいくら調べても彼らの作品が市販されている様子はない。公式サイトに連絡して、当初はライヴ会場のみで販売されていた1st EP『ゆうらん船』を購入させてもらい、最初に直感した通りの充実した内容に圧倒された。その頃人気を集めていた新世代のシティポップ勢とは一線を画す、丁寧に組み上げられたアレンジと、心の動きを巧みに描写する詞世界が鮮烈な珠玉の5曲。噂が噂を読んで、その後全国流通されて広く知られるようになったのも納得の、完璧に近いデビューEPだった。

 

 そこから、内村イタルの過去の作品を聴き漁り始めた。ネット上に残されたアマチュア時代のバンド「葡萄園」の曲を聴いて驚いたのは、十代の時点で並外れたポップ・センスを発揮していること。内村が現在ゆうらん船に在籍するふたりの鍵盤奏者、伊藤里文&永井秀和と3人で中学の頃に始めたこのグループは、自宅録音で遊び心たっぷりのデモ音源をいくつも残している。2010年~2011年の音源を聴くと、彼らが中村一義やくるり、ウィルコやUSインディ・ロック/ポストロック、レディオヘッド、あるいはビートルズやはっぴいえんどなどクラシック・ロックの影響下にあることが伝わってくるはずだ。「ロケット」「夜明けのミラーボール」といったオリジナル曲は早くも模倣の段階を過ぎており、一聴すればそれとわかる内村ならではのメロディのスタンプを確認できる。

 内村がソロとして先述の「閃光ライオット」で歌ったフォーキーな「黒い煙」は、コンピレーション『閃光ライオット2012』で今も聴ける。音楽的な骨子はほぼかたまっており、初期から近年まで一貫した作風を保ってきたことを示す興味深い曲だ。

 ソロ活動期間を経て結成した内村イタル&musasavibandには、元葡萄園で後にゆうらん船に加入する旧友、永井秀和も参加。現在まで交流が続くayU tokiOのプロデュースで制作したセルフ・タイトルのミニアルバム(2014年)は、ゆうらん船のファンが聴いてもすんなり楽しめそうな佳曲揃いだ。まるでイースターエッグのように、ゆうらん船の曲へとつながるイメージの断片も見つけられる。

 

 それら旧作に触れてから、初めてゆうらん船のライヴに足を運んで、これがソロ・プロジェクトではなく、歴とした「バンド」であることをようやく理解できた。ライヴがスタジオ録音盤よりひ弱になってしまうバンドも多い中、彼らはライヴ・バンドとしても骨太で観応え十分。もっとナイーヴなフロントマンかと思っていた内村はシンガーとしての芯がしっかりあるし、ギタリストとしても一旦火が点くと途端にアグレッシヴな面を見せる。

 そんな内村と拮抗するのが、歌いまくる本村拓磨のベースと、砂井慧の硬軟自在なドラムス。伊藤里文(元葡萄園)のキーボードも、バッキングの域に留まらず果敢に攻め込んでくる。タイプはそれぞれ異なるが、ひとたび束になると猛烈な熱を発する巧者揃い。インタープレイに入ってからの破綻に満ちたぶつかり合いも壮観だ。内村は本村が在籍するGateballersでも2017年からサポートを務めており、そこで得た刺激を自身のバンドに持ち帰っている部分もあるのだろう。

 

 伊藤の海外留学中に永井秀和が加入。やがて帰国した伊藤がバンドに復帰し、ダブル・キーボード編成に発展したバンドは、2019年にフジロック・フェスの「ROOKIE A GO-GO」ステージに初出演。降りしきる雨の中で熱演し、見守っていたオーディエンスを歓喜させた。

 新メンバーで臨んだ初の作品にして、2枚目のEP『ゆうらん船2』をリリースしたのが昨年10月。永井のアレンジによる美しいストリングスをフィーチャーした「Hello,goodbye」がある一方、ライヴでの爆発力を想起させる「夜道」のような曲も登場、前作の路線を踏襲しながら順調に進化したバンドの現在地点を見せてくれた。なので、当然このEPの延長線上にあるフル・アルバムが、次に出てくるだろうとすっかり思い込んでいた。

 

 ところが『MY GENERATION』は、そのような物わかりのいいアルバムになっていない。曲によっては、ここまで鍛え上げてきたバンドのグルーヴをあっさり手放し、打ち込みとポストプロダクションを駆使する場面すらある。2枚のEPで積み重ねてきたことの集大成というより、その先へ一気に突き進んだ印象。ひとつのスタイルを固定してなぞり倒すことなど、彼らはさらさら興味がないようだ。

 メンバー・チェンジを経て元葡萄園の仲間が揃ったことも、あるいは新作での変化に影響しているのかもしれない。デモ音源で気まぐれなカットアップやノイズを活用していた葡萄園の実験精神が、『MY GENERATION』には息づいているように思うのだ。そうした変化は前作の「★」からも窺えたし、オートチューンでヴォーカルの表情を大胆に変容させた「鉛の飛行船」や、リズム・アレンジに起伏を持たせた「未来の国」は、“今のゆうらん船”ならではの作風と言えるだろう。

 

 もうひとつ驚かされたのは、歌詞のトーンの変化。2枚のEPが比較的風通しのいい、開かれた作品だったのに対し、本作はより陰影に富んだものになっている。「Chicago, IL」の沈黙に呑みこまれた世界。〈胸に黒いバラの飾りを〉と歌われる「PIANO」。「鉛の飛行船」は、解釈によっては黙示録のようにも読める。前作の「★」と対になるようなタイトルの「●」は太陽を示す記号で、ここで歌われる情景は「Chicago, IL」と地続きのように思える。

 2枚のEPから感じられたポジティヴな空気は総じて薄れ、街で暮らすことの徒労感や、厭世的とも思える心境が歌詞に影を落としている。「Summer」の続編、「Summer2」が、歌詞自体は同じながら、ネガポジ反転したかのように異なる体温で提示されているのも象徴的だ。そして「Summer2」で都会を離れた男は、どうやら「山」に辿り着き、新しい暮らしに埋没しながらも〈俺たちはどこへ行くんだろう?〉と未来を憂う。

 シティでもカントリーでもない郊外の町で育った内村は、ふたつの間で揺れながら、居心地のいい場所を探し続けているようにも見える。揺れて漂いながら、時に遠い深海を行くサブマリンを夢想し、時に鉛の飛行船を幻視する……メタファーとして登場するのは、何故かいつも“船”だ。

 

 終盤に置かれた2曲は特に印象深い。「鐘」で歌われる、低空飛行するプロペラ機は、表現者としての自身を投影した姿だろうか。終曲「Rain」は、デモ自体は結構前から存在していた曲のはず。これまでのEPと異なるディストピア的な風景を歌ったこの曲は、『MY GENERATION』を締め括るために残してあったかのようにも思える。わずか2分ほどの別れの挨拶のような曲だが、ここに灯るほのかな希望が、この生々しいアルバムの出口としては相応しい。

 

 自分にとって、ゆうらん船は“タイムレス”なバンドであり、それゆえ普遍的なポップ・ソングを突き詰めることが可能な、稀有な存在であると今も思っている。そうした表現はともすれば復古的、現実逃避的なものであると誤解されがちだが、本作で“今を生きるバンド”としての姿勢を明確に打ち出したことで、彼らに対する認識は曖昧さをなくしていくだろう。

 こういう過激なアルバムは、何枚もリリースを重ねた後に来るものだと思っていたので、正直いきなり頬を張り飛ばされたような感じもあるのだが。「今作るべきアルバム」という必然性に満ちた、不自然さを感じさせない、極めて正直な作品でもあると思う。創作意欲のほとばしりを感じさせる今のゆうらん船がどのような航路を辿るのか、胸騒ぎを覚えながらリアルタイムで観測できることが、いちファンとしては何よりの喜びだ。

 

 

荒野政寿(CROSSBEAT)

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